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踊り疲れて眠るまで
ステップはカウントダウン
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冷徹だと言うのなら。
それで良い。
お前にはあんまり合わないよ、だなんて。今更でしょう。自分の気になる事、好きな事を選んで学べば良いと言ったのは他でも無い貴方ではないですか。
貴方は僕の何を知っていると言うのですか。何時か、何かで読んだ本の中。
例え家族で在ろうと他人である。血の繋がった父、母、兄、姉、妹、弟……その家族と言う堅き絆で結ばれていようと、所詮は赤の他人なのである。自分とは違う全くの別人なのだ。
そうですね、その通りですね。ただ家族と言う枠組みの中で生きる赤の他人ではないですか。言わば同居人ではないですか。僕はその赤の他人に養い育てられ今に至るのですが…。
ならば何故他人などと言うのか。感謝をして居ない訳でも無く、家族と思って居ない訳では無いのですよ。ただ家族であり、その家族の枠組みの中で共存する他人にしか思えないのです。僕にとって最早家族は大きな名称にしか過ぎず、端的に示す名称は赤の他人なのです。
親不孝者だと詰りますか。何時からそんな子になったのだと嘆きますか。あの時からゆっくりと歪み始めていたんです。ただ気付かなかっただけなんですよ。でもそれは仕方の無い事なんです。
赤の他人ですもの。だから気付かなくて仕方無いのです。気付いてと願っても、所詮は他人の心の内です。気付く事、知る事、理解する事は難しいのです。
人は誰だって少なからずは歪んでいるでしょう。僕はそれが最早歪みよりも屈折なのでしょうが…。歪んだ僕のウチに気付いた時、どう思いますか。突き放しますか。介抱を試みますか。
介抱よりも突き放してくれて良いのですよ。だってこれも僕なんです。僕の一部になった歪みを僕で無いと否定するなら、突き放して下さい。認めてくれないのなら何もしないで下さい。
何故理解してくれない。それは他人だからなんですよ。嗚呼、そう思えば何と容易に頷けますか。大切に思うけれど、他人の心を理解するには誰一人として無理なのです。例えこんなものかと知れど、それは正確には理解されては居ないのです。同じでは無く、似たものなのです。曖昧でしか無いのです。
それでも理解しようとするのは。人の深き探求心からなのか、慈悲なのか。後者で在りたいと願うのは所詮偽善者の願う事なのでしょうね。
title>>僕